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mizkiの甘め日記。

情弱という言葉も知らなかった情弱な女の子ががんばってプログラミングします!

私が高専を選んだわけ。

このブログは高専13'sAdventCalendar19日目の記事です。
 
昨日の人はこちら。りょさんでーす。アドベントカレンダー何記事も書いててつよい。
 
 
 
 
沖縄県の中学生で高専の存在を知っている人がどのくらいいるんだろう。私は親戚の家が高専のある辺野古より田舎にあったので、辺野古を通って家族の行事に参加していた。小学生のとき「こんな大きい建物はいったいなんなんだろう」「建物が橋で繋がってる!」「なんかすごい…」と寮と学校をつなぐブリッジの下を車で通りかかりながら、いつか入ってみたいと思った。
 
その学校に私は今通っている。
 
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右はじに見えるのが国道をまたぐ寮と学校をつなぐブリッジ
 
 
 
中学校に入った時、私は高専になんか入れる学力なんてなかった。勉強しないで取れる席次が半分よりちょっと上くらい。反抗期のまっただ中にいて、先生に楯突くわ。授業はまともに受けないわ。悪いことはするわ。
で内申点がボロボロだった。幸い勉強しなくても半分より上の成績が取れたのでなんとか頭の悪い人という評価はされなかった。
 
 
 
私はその時沖縄に絶望していた。言い過ぎかもしれないけど。
新聞に書かれる「沖縄の人」の評価は全国一頭が悪く、世帯の収入も低く、母子家庭が多くってなんだかものすごく不幸な場所に思えた。こんなところでずっと暮らして行かなきゃいけないなんてなんの罰ゲームなんだろう。私は小学生のころまでは福岡に住んでいて、幼稚園の頃からの幼なじみと高校は福岡で一番アタマのいい学校に通って、大学は九大に通う予定だったのに!
幼なじみは幸いずっと福岡にいて、みごと九大の法学部に入学したらしい。
 
 
爪も自分で切れないほどに親から大切にされてきた私は、沖縄に移住することを決めた母親のことを、中学の進路を初めて決定する段階で心底恨み、反抗期になった。
 
 
特にほめられることもない授業の中で
中学2年生のとき、担任だった先生が「君のノートを見て思ったんだけど、理系的な感性を感じるから高専を進路の選択肢に入れてみたら?」とおっしゃった。
白衣とメガネが似合って、哲学書とかの難しそうな本を読む、高専の友達が見たら「好きそうwww」と言いそうな理科の先生だった。(記憶ではysi先生に軽く似ている
 
 
こうせん?どこ?
よくわからん中で「理系的な感性を感じる」と言ってくれたことが今でも記憶に残るくらい嬉しかった。
そのくらい特に褒められることもない学生だったのだ。むしろ怒られてるし。
 
 
「ここだよ」と職員室の隣の壁にはられている高専のポスターのことを教えてくれた。あの橋がある凄そうな建物が「高専」だったのか!
「夏休みにオープンキャンパスがあるから応募してみたら?」
帰ったその日に母親にいうと
「ホントはずっとここに行ってほしいと思ってた」と話し、うれしそうだった。
 
私が高専を選んだわけは、イケメン(?私の好みだっただけかも)に「理系に向いてる」と言われた。
たったそれだけのことだ。
 
今、高専に入って4年目で、高専にはいれて、ICT委員会にはいれてよかったと思っている。
企業の人や中学生に高専を紹介するなどの活動もさせてもらえるくらいには、沖縄高専の代表を張れるようになったのではないだろうか? 
 
 
それにKosen13'sに入っていろんな高専生の同級生と絡めるようになったのも、高専にICTの活動があったからこそだもんね。
 
 
あなたが「高専」を選んだわけはなんですか?
 
 
明日はRe_Ampersandの記事です