mizkiの甘め日記。

南の島の高専でぷよぐやみんぐ!

プロコンの予選を諦めた話

みずきちです。プロコンまであと1ヶ月くらいになっているでしょうか。2017年のプロコンには出場しないことにしましたが、その時のことをざっくり振り返りたいと思います。

 

 

 昨年度の状況

去年、私はチームまぐろというチームで活動していました。

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 プロコンの成績は、目標となる「優秀賞」へは届かなかったものの「特別賞」を受賞し、過去記事を見る限りだと12月の段階では、とても仲がよく、意欲に溢れたチームだったことが伺えます。

 

チームまぐろは、12月のこのブログ後

・うちな〜ICTビジネスプランコンテスト(優勝)

シリコンバレー研修

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・起業家甲子園(企業賞)

ImagineCup(予選敗退)

と、さまざまなイベントへ出場して行きました。

 

この頃の私のブログを読み返したら分かるように、ICT委員会歴でも最多参加であろうイベントの数々に参加しながら、就活をしつつ、次年度の高専プロコンのアイディア出しをするという三連コンボは、メンタルにあまりよろしくない影響を与えました。

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読み返して見ると、かなり辛そう・・・というか、イタい・・・今は精神安定しているのですが、この頃を生き抜いた自分に拍手したい気持ちです。

振り返ると、プレッシャーとの戦いでした。うちな〜で優勝しなければならない。シリコンバレーで何かを掴まなければならない。起業家甲子園でなるべくいい賞を受賞しなければならない。ImagineCupに出場しなければならない。

 

 

来年度のプロコンでは、最優秀賞を受賞しなければならない。

 

 

本来は、このようなものはあくまで『目標』であり絶対に『しなければならない』ことではないはずです。リーダーであった私は、「これを達成しなければ、この大会やイベントに出る価値が無い」と考えていたように思います。

 

だって、優秀賞までは事務室前の盾を置くブースに盾があるんです。最優秀賞だけは無いんですよ。『最優秀賞の盾を絶対に「私」がここに置かなければならない』 と考えていました。

このようなリーダーの元で、動くメンバーの一人はリーダーから与えられるプレッシャーに耐えられなくなっていきました。

新学期から企画書提出まで

3月のイベントラッシュから、就活では無事内々定をいただき、数日の春休みを過ごした後、始まるのは新学期です。新学期は新しい学年の始まりではありませんでした。私にとっては、新しいプロコンの始まりでした。

 

チームまぐろとは別れ、新たなチームで新たな企画を出す。

今年のチームは、5年生が私ともう一人。3年生・2年生・1年生という構成でした。5年生は私の希望に沿って、まぐろから同級生を引っ張ってきました。実力のある3年生と期待の2年生。私に憧れて高専に入ってくれた1年生、とチームメンバーとしては最高でした。

 

プロコンに出場した経験のある人は分かるかもしれませんが、アイディア出しはかなりキツイです。その後の企画を企画書に起すのもかなり大変な作業であることは分かると思います。休日返上で企画書を書き、プロコンが終わるまで、休みなしで作品を作っていかなければなりません。じゃないと完成しないから。大人数なチームや、成熟しているマネジメントができるチーム・先生が入ってマネジメントできるチームでは違うかもしれませんが。

 

企画までは、出ました。

それを企画書に起す段階になって、昨年も同じチームであった同級生が、徐々にミーティングに欠席するようになってきました。

理由としては、5年生になってから授業コマ数がグッと減り、友達と遊ぶ時間が増え部活へ欠席してしまうというものでした。連日友達と徹夜をし、翌日の授業へは遅刻する、と「なんでそんなお前変わったんや!!!?」って素でびっくりしてた。

それはきっと建前でしかなく、「どうして、企画書を書いてくれないの?」という私からの毎日のプレッシャーに耐えられなくなってきたのだと思います。この企画は予選を通すことは前提で、少なくとも賞を狙える作品にしなければならなかったからです。企画書提出前までに予備実験は済ませる予定でしたし、部品等の発注も済ませる予定でした。でも、それは叶わなかった。本人が「辞める」と言い出したからです。

 

辞めるってどういうことよ?

彼が部活にほとんど来なくなってから2週間程が経過し、「お前いい加減にしろよ」という話になり、話を聞くことになりました。私とは一回も目を合わせずに彼は「プロコンには出たくない」と言いました。「もっと早く言えよ、せめて4月が始まる前に」と思った。

本人いわく、プロコン→起業系の大会という忙しいスケジュール感で動くのが嫌なこと、「最低でも受賞」というプレッシャー感では、私とで動く魅力がないこと、学生生活のうちに遊んでおきたいことを話したと思います。もう話聞いているころには、頭がクラクラしてて、内容は全然覚えてないです。

 

ICT委員会30人いる部活といっても、他のチームの構成だってあるし、メンバーはいないんです。「お前の替わりはいくらでもいる」なんて強がりも出ないような状況でした。5年生の戦力が欠けると、出場すら危ぶまれるようなチーム構成でした。

「後輩はどうするの?」

『申し訳ないけどプロコン出場は諦めてもらうことになるね』

「本当に申し訳ないと思ってるの?」

『でも、しょうがないっすよね〜』

「(えぇ〜〜・・・)」

説得したあとに、「・・・もういい、帰って」と切り出しました。その時には、逆に頭がスッキリしていました。この人がいなくても、なんとかなるようにチーム構成をかえなければならない。とチーム間の交渉に動きました。

その後

チームは、他の企画が出ていないチームを吸収し、企画書を書いていくことになりました。 メンバーの調整が済んだ2日後に私はチームを辞めました。

 

理由としては、辞めたあの人がいないチームで動くとしたら、心殺して動かないといけないと思ったこと。そんなリーダーがいるチームで動く人はきっと辛いと勝手に判断したことでした。本当に辞めるのかとかなり呆れられましたが、辞めました。チームメンバーで大会に出場するかどうか決めるのは、理解できないと言われましたが、友人であるブロンズが「自分もホワイトハッカーズじゃないとやる気にならない」と言っていたので、こんな理由でプロコンをやらないのもありじゃないかと、身勝手な理由で、辞めた。

 

思い返してみると、辞められてしまってから、吐いたし、パニックで死ぬほど泣いてたし、かなり見苦しかったと思います。「どうして?」「なんで?」を西野カナ並に撒き散らしていたはず。

でも、私はずっと「ごめん」って言い合ってた時の記憶が、この記事を書いている今でも忘れられないし、絶対にそれのリベンジをしないといけないのだと、ずっとそのことばかり考えていました。だから、辞めるなんて選択肢すらなかった。それは彼も一緒だと思っていました。でもそうじゃなかったんです。

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じゃあどうすればよかったんだよ

自己啓発本の信頼されるリーダー論だとか、ブラック企業にしないような企業作りとか、そんなのは、余裕のある人や会社ができる話で、所詮趣味の範囲でしかない部活動で勝ちを目指すためには、じゃあどうしたらいいんだ。近年の「ブラック企業は経営がまわってないんだから潰れた方がいいんだ」という論のように、うちのチームも潰れて正解だったとでもいうのでしょうか。18歳の学生がそんなことできてたら、もはや起業したほうがいいんじゃないか・・・

 

プロコンがあと一ヶ月という時期になって、企画書を書いていた5月からだいぶ時間が経ちましたが、未だに答えは出ません。あの精神状況下で自分がどこまでできたのか、わかりません。教授に「みずきは、部下を一人は潰すよ」と言われましたが、これで二人目です。まあ、彼は部下ではないのですが、プロコンに参加する意欲のあった学生を、そうじゃなくさせたというなら変わらないでしょう。学生のうちに誰かを犠牲にしてかえってよかったのかもしれません。そう考えでもしないと、後悔しかありません。社会に出てから、後輩ができた時に優しく接することができるように、なりますように。また、きつい精神状態にならない、人を追い詰めるようなことをしないような成熟したオンシャを選ん辛い時期にいた過去の自分と、私を選んでくれたオンシャに本当に、感謝してる。

終わり